« 「新幹線」から... | トップページ | ワイン飲むなら... »

NHK大河ドラマ「篤姫」を観て思うこと

昨晩は、鳥羽・伏見の戦いに敗れ、錦の御旗の前に朝敵におとしめられた一橋慶喜が天保山から船で江戸へ逃げ帰り、天障院の進言を入れ、謹慎するまでが描かれた。

最近、物語はアチェルランド気味で、場面展開も速く緊迫感を増している。

更に、長州人が全くと言っていいほど出てこず、新撰組や松平容保ら幕府側の主要人物も登場してこない。確かに異様だが、一大名となった徳川家の、しかも閉鎖的な大奥を描くのであれば、シンプルでよいかもしれない。

この後、官軍が江戸に押し寄せるも、西郷吉之助ー勝安房守海舟の会談で、江戸城は無血開城され、世界有数の人口を誇った江戸市中は戦火を免れる。戊辰戦争といわれる局地戦はあったものの、徳川家は、天下を戦国の世のような騒乱状態にすることなく、身を引くことができたのである。

明治新政府は、薩長土肥の元藩士を中心に構成されていくが、倒幕へ突き進んだ先鋭性は受け継がれ、2発の原子爆弾を投下され、東京を始め全国の主要都市、軍需工場が焦土と化し、国の内外で多くの国民が落命するに至って破綻する。

歴史にたらればを論じることはナンセンスである。が、この物語は大奥・江戸城を守ったひとりの女性の生涯を描くとともに、明治維新そのものを問い直している気がする。

第2次世界大戦後63年間、アメリカに守られ、アメリカに同調することで、戦火にあわず驚異の経済発展を遂げてきた。俗に、総中流家庭といわれた安全で豊かな暮らしを日本は享受できたことは間違いない。しかし、先の大戦の結末はついてないのではないか。

日本人は、認めたくない方もいらっしゃると思うが、やはり、錦の御旗をやんごとなき存在として考えている。米軍基地などない、真に平和な独立国家を、錦の御旗のもとに作る時期に来ていると、私は思う。その国づくりに際し、二度と過ちを犯さないためにも、尊王倒幕から明治新政府樹立までの過程をおさらいしておくことは重要であると考えるが。

話は変わるが、篤姫が一橋慶喜にかけた一言が、ずきんときた。「人の上に立つ者は孤独である。その孤独は、実際になった者にしかわからない」。私はその孤独に負け、今、休業中である。幕藩体制では、孤独から逃れる術としては、死、在家出家、隠居があったと思われる。現代では、一定期間の休職はあるにしても、その先がない。死ぬのは嫌だし、仏門に入る気も無い、かといってのんびり隠居生活を楽しめるほど余裕はない。なんとも、世知辛いものよ。

最後に、「篤姫」が終わると同時にテレビ朝日にチャンネルを変えたら、フィギアスケートグランプリシリーズ(フランス大会)での、浅田真央選手のフリーの演技のリプレーが開始された。ナイスディレクションである。素晴らしい。

それにしても、武豊騎手は大丈夫だったのだろうか?では、また。バイビー。

|

« 「新幹線」から... | トップページ | ワイン飲むなら... »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/527246/43139105

この記事へのトラックバック一覧です: NHK大河ドラマ「篤姫」を観て思うこと:

« 「新幹線」から... | トップページ | ワイン飲むなら... »